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アザポジ

エディトリアルデザインしたりオタクしたりしてる人の独り言。アザポジ→編集の際撮影された写真で使用しない画像のこと。

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幸村誠と浅野いにお

さてもうひとつ。
これも常に思っていたこと。
私の中で正直謎だったのが浅野さんの作品に対するすんなり受け取れない感がどっからくるのかということだったりした。

で、幸村誠さんの漫画読んでなんとなく降ってきたお告げがあったのだ(?)

愛だな、たぶん愛に対する姿勢の違いだ

幸村さんの作品には何種か共通点(ヴィンランド・サガとプラネテスだけだけど)があってひとつは「極みを目指すこと」だったり「栄光衰退」だったり「父親という存在の落とす影」だったり…いわば
「男性的」な面っていうのがすごく精密に描写されてるってこと。
で、もうひとつに上げられるのがプラネテスの愛ちゃんだったりヴィンランドの修道士さんに見て取れる「愛とは何」というような根源的な問題に対する葛藤だったりする。んじゃないかしらん。

私が幸村さんをものすごくストレートに好きだって言える理由がその「愛」だ。
彼は漫画で真剣に考えてる。そして全然(これすごく大事だと思うんだけど)その姿勢に格好つけない。乱暴になったり泥まみれになったり無気力になったりしながらも絶対にそれを無下に放り出さない。恥ずかしい事をこともなげに真剣に語る。(プラネテスのラストハチマキが木星を前に語る言葉然り)

すごいよ幸村さん。私はそんなこと恥ずかしくて真顔で絶対言えないってことを真顔で言ってくるんだぜ?全然気取らないんだぜ?天然なんですか幸村さん。怖いよ幸村さん。でも好きです幸村さん。
(当時本気でほれそうになった)

さてでは浅野さんに焦点を当ててみましょう。
まあ最大の難色だったのがモノローグのあまりの岡崎京子だったんですけどこれはおかきょん知らなければそれなりに新鮮な構成だったかなあと思います。映像的でありとてもテンポがいい。
絵はきれいですし(背景は写真らしいですが…ううむ)、「森のクマさん」や「光の街」のあのデコに痣あるお兄ちゃんのように悪いくせに良い奴とかはなんか憎めなくて好きだったりもするしな。

ただね、浅野さんにはなんとなく愛を格好つけて放り出してる感が否めないんだよなあ。
こう、知ってるし求めてるくせにあえてそこに言及しないの。もっとかっこいい言葉とかかっこいいエピソードでうまくまとめようとしちゃってて、ちゃんと目を凝らせばあるものに対して「なに真面目になっちゃってんのかっこわりー」って言ってるように見えちゃうんだよなあ。そうそうそういうもんだけどね。高校生くらいの年頃だとそうだったね。誰も真剣に愛なんて叫んでない。(携帯小説だのセカチューだのの病気で死ぬことに意義を見せる安い悲恋には涙するくせに)

でもそこで格好つけるのはどうなのよ浅野さん。
私は正直なとこそこが鼻について駄目なんですよね浅野さん。

簡単に言ってしまえばさ「格好いいもんってのは格好つけてないから格好いい」わけでね。
「恥ずかしいことを隠すために格好つけてる」ってのはやっぱり失笑ものだったりするんだよなあ。

…とまあ散々なものいいですが…それでも漫画持ってるってことは割と好きだったりするんでしょうね。
でも自殺見届け屋の小学生あたりは本当にその「愛をないものとしてかっこつけてる」感が強すぎて正直読むのも辛かったんですよ。
折角青春ちっくな世界持ってきてるんだからそこで真剣になってもいんじゃないの?と
ちょっとだけ茶々を入れてみるのでした。
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トロイメライ

トロイメライ 島田虎之介

アックスという漫画雑誌に掲載された漫画。アックスといえばちょくちょく青山ブックセンターで見かけていて、「なんか気になる雑誌だなー」と思っていたので覚えていました。

最近あまりビビビっとくる漫画を発掘していなかったのでおもむろにジャケットと帯のキャッチとだけで直感買いしてみたのがこの漫画で、まあ結果は大当たりだったというわけです。

始めの方ではカメルーン、ジャカルタ、日本、イラン、ドイツなどの歴史と場所をばらばらにした物語が断片的にちりばめられており、最初はまるで関連性がないように見える。
しかし話が進むにつれてそれらの間に人間やものを通してのつながりがだんだんと見え始め、最後にはそれらが一点に収束する。
壮大で膨大である情報をたった一点に収束させるという手法だけでもとても凄いのだが、この人はなにより映像的な画面の切り出し方が群をぬいてうまい。
次のコマのシーンの台詞がそこから始まっていたりするところなんかはまさに映画のようで、というよりももう映画を見ているのかと錯覚すら覚えてしまう。

ただしこの漫画は一度読んだだけでは楽しめない。一通り読んでから再読することで後のシーンのつなぎになるシーンがこれだったのか、とか、後で出てくるこのひとがこうだったからああなったのか、とかどんどん発見していく楽しみもある。

こんなに緻密で複雑な話の構成なのに、絵はものすごく単純化されているのもまた味があってすてき。

とりあえず、漫画マニアにとってこれはちょっと衝撃の発見でした島田虎之介。
勢いで次の週に残り二冊(ラストワルツと東京命日)も買ってしまいましたわー。

一番わかりやすく収束されているのはやはりトロイメライでしたが(最新作なだけあって)他の二つもかなり読み応えのある漫画でありました。

ラストワルツのチェルノブイリ原子力発電所の消防士の生き残りの人と広島の原爆のおばあちゃんの交錯もなんだか切ない…。。
安土さんの種まきはなんだか爽快。。

こういうストーリーの凄い漫画ってなかなかないのでとても新鮮でした。

残暑 鬼頭莫宏

残暑 鬼頭莫宏

「ぼくらの」がアニメ化されて以来かなりこの人の漫画のことを目にする機会が増えました今日この頃。
なんだかIKKIに連載されているのでかなりコアなファンしか存在しなかったような気がしたので最近たくさんもてはやされて嬉しいような寂しいような…なんですかね、このちょっと複雑な気持ち。
(ちなみに「ぼくらの」が好きだ、とノットオタの子に言ってみたらお前暗い!と言われました…むう)

その複雑な気持ち半分こちらの読み切りを購入しました。
おお、私が4歳の時には既にこの人デビューしてたんですね。
最初の頃の絵柄はなぜか昔のたるるーと君とか初期の藤崎竜を思い起こさせました。
随分絵柄の冒険をした人なんだな、というのが絵の印象でした。

話自体はどれもとても素晴らしかったです。
この人は「なるたる」やら「ぼくらの」の残酷な設定で「奇才」扱いされてたのですが(とはいっても私はどちらの設定にも残酷性を感じませんけれども。「死ぬ」という出来事はだって「生まれる」と同じ数起こる事象であり、まったく自然な出来事だと思うからです。それより生き返ったり死なない漫画の方がよっぽど怖くないでしょうかねえ)この短編集にはどれもそのベーシックな、死だとか終わりだとか残されるものとか、要するに時間の流れとともに失われていくものたちの物語とでもいいましょうか。そのあたりに対する展望が、切々と比較的優しく描かれています。

凄く根深いテーマとして「生と死」があって、それに「喪失」とか「継承」という「生と死」の象徴的出来事が起こり、そしてその先にあるものに対しては静かに読者へゆだねる。しかもそれがナイーブであるテーマが故にとても丁寧に扱われていることにとても好感が持てます。
何よりこの人の良いところはその暗く、ネガティブになりがちな「喪失」を「美しさ」で演出できている所なんじゃないのかなと。

例えば「残暑」では死んだ妹が渡した手紙を主人公が空にかざすシーンで終わっているし、(妹ともう二度と会えなくなっても、これから先に主人公には未来への展望があることがすごく伝わってくる)
「華精荘に花を持って」では時を経て再会した元小学校時代の恋人がもう手の届かないところへ行ってしまったことへの暗示として花を手向けるシーンをからませる。

静かな中に暗示めいたもので喪失の重さを印象づけるあたりはもうこの人じゃないとできないんじゃないかなあと思わせてしまうものがあります。

なんとなくそういった重いテーマが話題になりがちな作家さんでありますが、「ぼくらの」にしろこの短編集にしろ、作家さんのずばぬけてるところはその重いテーマに対して湛然としていて丹念であることなんじゃないかなあなんて思う今日この頃。

プラネテス 幸村誠

プラネテス 幸村誠

今日はこちらの漫画について。といいつつ私は例によってあらすじ追いが苦手目…がんばってご説明。

宇宙で「デブリ」という宇宙に出るゴミを回収するお仕事をしている主人公ハチマキと彼の仕事仲間、フィー、ユーリ、田辺などが宇宙の中で活躍する話というのが大筋。
ですが内容はこんな説明では説明しきれない程に濃い。

自分の現在に甘んじて理想から目を背けたり
誰にも頼らず一人高みへと突き進もうと決心したり
宇宙にあって自分のちっぽけさに気がついて心がからっぽになってしまったり
かと思えば組織やらでかい世界の事情に巻き込まれつつ自分が決めるべき道であったり
単純に愛であったり

SFであり哲学であり真理でありしかし現実的リアリティを含んだフィクション。

色々と作者の方が考えているものを多角的に一気に詰め込んだという印象もあるのでかなり重かったり物質的なことではなく質量が多い感じがしますが、そんなカオスのなかでたどり着く結論がとてもすてきな作品だと思います。ひとつひとつに関する答え、ではなく最終的な到達地点としての答え的な。終わりとしてはとてもそれこそいとおしくなるような。

でも何より感動したのは本当に大変化球で申し訳ないのですが作者のあとがきだったりした。
といっても手元にないのでこれは概要だと思ってくださいな。

 もし僕の目の前でビルから飛び降りて自殺しようとしている人がいたらどうしようか
 僕にできることは漫画を描くことだから、オチが描かれてない漫画を見せて
「この漫画のオチを見たくないかな?」と言ってみようか

という感じの。
正直私はこの言葉に泣けた。なんでだか理由はわからないけれど、きっとその自殺しようとしてる人も泣くだろうなと思った。
人間なんて所詮ちっぽけで何もできないかもしれないけど、そんなたった一つのちょっとばからしくてくだらない理由でもその人が生きていく理由になれるならそれは素晴らしいことじゃないか。

きっとそんな言葉が出てくる作者の方だからこんなに良い漫画作れるんだろうなあとつくづくと思ったのでした。

預言者ピッピ 地下沢中也

預言者ピッピ 地下沢中也 

コミックキューに連載されて8年かかりで単行本化したといういわくの一冊。
はい。正直に言いましょう。
これ凄いです。

青山ブックセンター@六本木で「デザインルールズ」と
「縦組本文のデザイン」というまあ仕事の本を選んでる時に偶々手に取ったものでした。
ちらりと立ち止まったときに視線の高さにそれが目に入って何か直感的に手に取ったんです。
で、青山ブックセンターでは漫画にビニールなど悲しい密封加工が施されていないので、立ち読みして時間つぶすつもりで読み始めたのですね。
どうやら始めは手塚治虫のトリビュート?のような扱いで始まった漫画のようで、世界観というか話の流れが「メトロポリス」などを喚起させます。

概要を少しご説明すれば
(以下核心には触れませんが絶対ネタバレしたくないひとはすっとばしてください)
舞台は私たちとそれほど遠くはなれていなさそうな未来の日本。
そこで地震予知に使われるためにあらゆるコンピューターの端末となり情報を集約している子供のロボット「ピッピ」。
彼は情報を単にインプットするだけではなく、同じ年頃の少年タミオと一緒に遊んだり話したりすることでたくさんの事を学んでいく。
しかしとある事故がきっかけとなりピッピが「なぜ?」と問いかけるもう一人の人格を自分の中に作り出した事によって地震予知という情報を与えられて予知するだけだったピッピに「もっと知りたい」という欲が生まれてしまう。そして「地震予知しかさせてはいけない」と猛烈に反対するタミオの父親の反論も空しく、ピッピには世界のすべての(バタフライ理論やらカオス理論やらも完璧に計算できる程に)精巧な情報が与えられることとなり、しまいにはすべての起こるべき物事を計算し尽くしてしまう

…というもの。

・願うことができるのは未来が不確定だからである
・進歩をする限り人は自分たちで制限していたルールをいとも簡単に破ってしまう
ラプラスの悪魔が存在するとしてそれは人間にどのような影響を与えるのか
・予測というものが限りなく100%に近づいたとき、人間は自分に被害が及ばない限りはそれが自分の願った通りになった事なのだと錯覚してしまう
・たとえ自分の意志で決めた事だとしても、その前に完璧な予測というものが前提に突きつけられてしまうと、人間は自分の意志ではなくそれがその予測した何者かに操られているように感じ、時として恐怖に陥るだろう

この辺のことがとても精密に、リアルに描かれています。
そして調べた結果この方元々はギャグ漫画畑の人だということが…
なんていうか、反則ですよね。

そしてこれが発売されるまでの道のり8年…
月じゃないんですよ。年なんですよ。

次巻は何年待てと!!!

今のところ謎な部分
・ピッピがタミオの描いた絵に付け加えた貝のようなものは何なのか
・何故ピッピは新聞記者に嘘の「自殺告知」をしたのか
・人間の幸せを願うと言いながら進化か絶滅かと問いかけるのは何故なのか
・その宣告の前にピッピのつぶやいた言葉の意味は何なのか

…など。

この漫画、ジャンプ主流に読んでいる人とかが読んだら相当ショックを受けそうな気配がしますがぜひ読んで欲しいといっておきます。
系統的に「僕らの」が大丈夫な人は大丈夫でしょう。
個人的には「僕らの」よりも私は「ピッピ」の方が好きなのですが。

割と読みやすいのに凄くぞくぞくします。

カウンタ

Penguin

いやしゾーン

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某美大卒。分裂気質。仕事がないと生きて行けないサラリーマン気質。