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アザポジ

エディトリアルデザインしたりオタクしたりしてる人の独り言。アザポジ→編集の際撮影された写真で使用しない画像のこと。

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郷田マモラとその周辺

お仕事もしばらくゆるゆる状態なのでこういうときにじっくりと漫画談など。
表題の漫画家さん、知っている方は少ないかもしれませんが
ドラマ「きらきらひかる」と聞けばぴんと来る方も多いのでは…。
ドラマの原作漫画の作者こそ彼なんですね。

高校生の頃に初めて漫画を見たときの正直な印象は
「なんだか気持ち悪い…」
だったのですが、今ではすっかりファンと化しております。

かなり好き嫌いの分かれると思われるこの人の画風。
平たく言えばガロ系とでもいいましょうかねー…簡単に言い過ぎですが。

しかしなんでしょう。読んでいる内に気にならなくなり、何より物語自体に引き込まれるので
どんどん面白くなる。

少し話は逸れますがドラマの出来も実は私が今まで見てきた中ではかなり高い評価に属するものです。
(やまとなでしこ、トリック、ドクターコトーに並ぶ勢い)
親子間の事が恋人間になっている設定だった事件とかは「色恋にすりゃいいってもんじゃねえだろ」とか思っちゃったのですが(辛)、基本的にフィクションとしての設定と現実感のある検死の実態が降り混ざってて非常に面白かったです。
オリジナル設定である医師が皆女っていうのもなかなかうまい具合に機能していたかなと。

漫画の話に戻ればとにかく不思議な温かさに満ちているなーというのが印象的。
被害者は死んでしまっているんだけれども、周囲の人の中に残るものというのがとても温かくて優しいので救われる。

あ、でも「狐憑き」という話は本当に怖い。いや、もう。眠れなくなる位怖いというか…。
思い出したらまたゾクっときた…。

それにしても「きらきらひかる」、読めば読むほど不思議な漫画。独特な表現の仕方といい、存在感といい、気が付いたら好きになってたというポジション自体がなんだか妙な気分にさせられます。
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岡崎京子について

さて、何かにつけてHPやブログで触れている岡崎京子について今回はちょっとご説明いたします。

岡崎京子は主に80〜90年代の間に活躍し、10年ほど前の交通事故で現在もリハビリ中の漫画家さんです。
近年でも高い評価をされることが多く、2004年には「へルタースケルター」が手塚治虫賞に輝いていたりします。

なにかにつけて私が彼女を尊敬するのは彼女の持つ、徹底した客観性にあるのかな、と思います。
とにかく冷静。渇いた笑いと観察眼と言葉のミックスで出来たような、全く個人の感情に寄らない表現方法がすごく好き。

少女漫画にあるような夢や希望や恋に満ちた世界はそこには全くなく、あるのは現実を淡々と受け止めなければならない(しかしそれを悲観すらしないような諦念に満ちた)日常で、私たちの世界と地続きで繋がるような、現実じみた場所。そこに置かれている状況について淡々と語るようなやりくち。日常のきらきらした偽物っぽい「おしゃれぶってて、きれいぶってて、いいこぶっている」ようなものをはがしたときにいかに私たちが空っぽであるかをおしげもなく突きつけられているような感覚。
それなのに全く動揺の欠片すら見せないようなそぶりで漫画としてシーンを切っていく手法が本当に凄いと思う。慈悲や慈愛のかけらもない。それなのにただ世界は存在して動いている。それだけをただ黙々と見つづけている。

私が一番初めにびりっと電気を感じたのが「リバース・エッジ」の見開きゴマ。
第何話とかの扉の後にいきなり工場の風景が見開きで入ってくる。
え、と呑まれながら次へいくところで入るハルナのモノローグ。

そのよくわからない「間」に私は完璧にやられた。よくわからないがその「間」で色々なものが見えたのだ。台詞も何も入っていないただの工場のその風景だけで、全部言い表されてしまった気がしたのだ。

この漫画と出会ったのは大学の頃だった。そんなに古い話ではない。
でもそのとき初めて私は漫画の持つ表現の広さを思い知らされたようだった。
なんで今までこれが見えなかった?
なんで今までこんなに凄い表現手法に気が付かなかった?

ただ話を動かす為に絵を動かすんじゃない。説明の為に言葉や絵で補っているわけじゃない。
シーンが映画のように切れるからテンポだって動かせる。テンポが動かせれば空気が変わる。
シーン演出ができるのならばそれだけで物語の世界の奥行きが変わる。
言葉が言葉として独立して意味を持つことも、絵だけがそこにあるというだけでも伝わるものは伝わる。あるいはそういう表現が息づかいのようになり生々しささえ与える。
なるほどね。
漫画は娯楽以上に何かを表現することも可能なのか。
例えば映像が娯楽的な番組になるだけでなく、実験的に使うことで(たとえばビルヴィオラのような)人の心理にまで入り込んで突き動かすようなものになることも可能なのと同じように、と。

そうか漫画っていうのはこういうことで楽しむこともできるんだな、と知った大学二年の頃。

私が漫画を描きたいと思ったきっかけはこの瞬間だったんだと思う。
(松本大洋にも多大に影響をうけているが)
誰かの心の奥まで入り込んでそれを揺らして、そういうことができるのならばやってみたいと、興味がわいたのだ。

カウンタ

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いやしゾーン

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コマツ・フツラ
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性別:
女性
職業:
エディトリアルデザインする人
趣味:
漫画と旅と映画
自己紹介:
某美大卒。分裂気質。仕事がないと生きて行けないサラリーマン気質。