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アザポジ

エディトリアルデザインしたりオタクしたりしてる人の独り言。アザポジ→編集の際撮影された写真で使用しない画像のこと。

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浦沢直樹のモンスター

ずっと思ってたのだがいつも書き留めることを忘れていたことについて

20世紀少年における「友達」とMONSTERにおける「名前のない怪物」。
この二人の共通点はおそらくその人「そのもの」に対する恐怖ではなく
それらが実在しているということが極めて曖昧に描かれていることなんじゃないかしら。

20世紀〜は「友達」とは一体誰なのかが最大のポイントだったわけで作中何度か正体が明かされるにも関わらず次々と謎がわき起こり、どんでん返しをされまくる。
最後に正体が明かされつつも本当の顔は結局わからないままだ。
MONSTERはヨハンという魅力的でいて残酷な悪が描かれつつも、「なまえのない怪物」という抽象的なものの存在が見え隠れし続ける。そしてヨハン自身も最後に姿を消す。


なまえのない怪物、ゲンヂが見たのっぺらぼうのお化け(余談だが浅野いにおさんの漫画にもいじめっこが自分の姿を鏡で見たときに自分がのっぺらぼうのお化けのように見えるシーンがあってうん?と妙な心もちになった)、友達、全ては具体的な正体を本質からさらさない。常にどこか曖昧でそれでいて脳裏にこびりつくような…「言葉」としてだけ象徴されることでただならぬ不気味さがあるもんなのだなあと思ったのだ。
そういえば「PULUTO」もそうだね。これも言葉として先に歩き始めていて、実体は非常に曖昧。その曖昧さゆえの危うさ、自分の中にもしかしたら植え付けられているのではと思うような恐怖を孕む。

怖いものとはきっと、目に見えなくて「わからない」から本当にこわいのだろうなあ。
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女性
職業:
エディトリアルデザインする人
趣味:
漫画と旅と映画
自己紹介:
某美大卒。分裂気質。仕事がないと生きて行けないサラリーマン気質。