2008.06.06(Fri) 【雑記】
資料用メモ
山月記
理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
一体、獣でも人間でも、もとは何か他 のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?
己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀 しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。
人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己 の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有 っていた僅 かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為 さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄 しながら、事実は、才能の不足を暴露 するかも知れないとの卑怯 な危惧 と、刻苦を厭 う怠惰とが己の凡 てだったのだ。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺 めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮 したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
一体、獣でも人間でも、もとは何か
己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、
人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を
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